修士課程のメモ帳

研究職と開発職の隙間に落っこちた新卒のお話

また登りたくもない大人の階段を登った。

とある大学院大学のうちの研究科(大学で言う学部。大学院だと研究科に名前が変わる)では4月20日頃の必修の試験成績と入試成績、TOEICの点数を適当に配分したものが研究室配属の資料に用いられる。勿論、大学院に来るための努力より入学後の努力の方が評価されるように配点が定められていると聞いている。しかし学生の誰一人、もっと言えば歴代の先輩方誰一人、この配点の割合を知った人はいないと考えられている。
人気研究室に行くためには相当優秀な成績を取らなければならないというプレッシャーに負けない心と、巧みな情報操作が必要となる。


僕を始めとして、まずは過去問を先輩から譲り受け授業資料を基に自力で解答を作り上げていく。学部生の時から変わらない大学生らしいテスト勉強である。
このあと、直近数年分の過去問の解答解放の暗記に走る人もいれば、出題傾向を抑えながら授業資料の再確認をする人もいる。一部では単位は安全になったと思いそこで勉強を辞める人もいる。


僕が志望していた研究室は定員に対し倍率が4倍という超人気研究室であった。その理由は教授の人柄の良さという環境面のホワイトさに加えて、化学系にあるまじき拘束時間の短さという体力面のホワイトさがあるからである。

その研究室に入るためには、先に述べた全試験の総合成績が10番以内でないと出願しても通らないと考えていた。針の穴のような、狭き狭き門である。

入試成績がよろしくないことはなんとなく察していた僕は試験成績で満点で1位を取ろうと、そう考えていた。ここで例えば20番やそれ以下の順位だとすると、僕にはそれを巻き返すための武器が何一つなかったのである。
鎧も服もない。あるのはこの裸の身体と
そこそこの名刀と鑑定された剣のみである。相手を切り伏せる以外、勝算はないのである。


試験当日、大方例年通りの出題であったが、何問か直近の過去問では解けない問題が出てきた。正直そこで順位が決まるような問題だった。薄い手応えはあったが完全ではない。このテスト、負けたと思った。




一週間が経ち、順位が発表された。

総合成績は38位。よくもまぁ順位1桁を狙うと吠えたものである。惨敗だった。僕は全員が同じルールの元で勝負して出た結果なのだと、諦めはすぐについた。

しかし総合成績の内訳を見ると何とも言えない気持ちが押し寄せてくる。

試験成績は2番だったのに入試成績が1番下とほぼ変わらなかったのである。試験成績だけで決まる一発勝負であれば第一志望の研究室に通っていた。僕より上の1人が僕が志望する研究室を希望してもまだ椅子が余っていた。


それでも不思議と仕方がないと諦められた。みんな同じルールに則って戦ったのだ。僕が一番悔しい思いをしているかもしれないし、僕より悔しい思いをしている人がいるかもしれない。
この日、また少しだけ渇いた心になった大人の僕を感じた。