修士課程のメモ帳

研究職と開発職の隙間に落っこちた新卒のお話

愛に飢えて、自信に飢えて。

とあるきっかけで旧帝大卒の年上社会人の女性とごはんに行ってきました。

その方は容姿が派手なわけではないけど、すごくキラキラ眩しくて、親からたくさんの愛情をもらい、周りの人に恵まれ、人並みならぬ努力が実を結び順風満帆な人生を歩んできたのだろうなと思えるような、そんな素敵な女性でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他己紹介終わり。

 

 

正直すごいうらやましかった。

彼女のこれまでの人生が、すごく羨ましかった。

話す言葉や態度にどこか自信と希望があって、後ろ向きな考えを持たないような姿勢が本当にうらやましかった。

 

 

同い年ではないけど、高校生の時までは旧帝大に合格するという同じ目標を持っていながら、片や晴れて合格し、片や不合格となり私立大学への進学を余儀なくされ、学費で母親から非難される毎日。そしてバイトの面接に4回も連続で落ちて社会不適合者なんだと思い知らされついにメンタルブレイク。いかに親に金を残して痛い思いをせずに死ぬかを考えていた。ついには食事もとらず、ただ寝てたら一日が終わってた、だから大学にいくこともなく、出席不足で早々と留年を手にしかけてた。僕の一回生の前半はすでに終わっていた。

 

後期に入り、退学願ももらって、精神内科にも通って、ようやく行きたいときに行けばいいくらいに思考回路が変わってきて少しずつだけど本来やるべきことをやり始め平常運転に戻り始めた、そんなときになってようやくアルバイトの面接で採用され、少しずつ自信を取り戻し鬱病を克服していった。

ダメでもともと。初めてのバイトで数年ぶりに女子に話しかけ、気持ち悪がられたらぶっちしちゃえばいい。そんな風に吹っ切れながら行動してたら意外とうまく物事は運んでくれた。

 

 

 

 

鬱を克服しつつあって自分の容姿や心が変化したからか、思い返せば初めてのアルバイトでも、その次のアルバイトでも、どうも脈ありな女子はいたような気がする。

 

でも、ほぼ鬱病患者としての1年を過ごしてきた経緯から、努力(当時は1日約10時間の勉強)は平気で裏切ってくるし、自分に過度な期待を持たせるとうまくいかなかったときの反動で死にたくなるからと、一生懸命の努力をせず、自分に期待しないよう保守的な姿勢で生きるようになった。失敗したときに言い訳して逃げられるように。だからそのアピールをもらった時に限って全く気が付かないというか、勘違いしないようにと自制していたら恋愛することなく卒論をしなくてはいけない学年にまでなってしまった。

 

 

そんな卑屈でねじ曲がった大学生活を歩んできた僕が目の当たりにする成功者は眩しくて、すごい羨ましい存在だった。

聞けば親から愛され、自信を持って生きてこれたんだと。

 

僕にはそれがすごく羨ましかった。親から「死ね」だの「金食い虫」だの言われた僕は愛されることを知らなかった。20歳にもなるのに何甘えてんだって話かもしれないけど。生きていることが申し訳なくなるような、そんな心になっていった。

 

 

 

特に一般の範囲で若くして順風満帆な人生を送れる人は、両親から愛されて育ってきた人が多い気がする。だから自然と二十歳になるころには親への感謝を口にし、物で、思い出でそれを顕す。しかし愛を知らない僕やもしくは同じように親に虐げられながら生きてきた人は、そういった感謝の気持ちを抱けないし、生まれてきたことを後悔し、生きていることを申し訳なく思いながら生きていたりする。

そういった違いがその人の持つオーラの眩しさや暗さに繋がっていく。

 

人生とは生まれた時にはその人が充実した青春を送れるかどうかが決まっているようなことを知らされた食事だった。