修士課程のメモ帳

研究職と開発職の隙間に落っこちた新卒のお話

ねこを亡くして約2週間の記録。

ねこを看取ってから2週間近くが経ちました。仕事や日常生活に揉まれてか、ねこの死から目を逸らしてるからか割と立ち直りは早かった気がします。亡くなってから5日くらい毎日泣いていましたけど。

 

改めてTwitterって便利だなって思いました。見返すことが少ないのが勿体ないですけどね。

 

 

大学院に進学してから社会人3年目の今までずっと一人暮らしだったので、画像フォルダにいるねこが実家に必ず居て、帰省の度に撫でて抱いてたので、それが叶わなくなってしまったのは立ち直ってからも寂しい。親は火葬を見届けいたはずのねこがいなくなった生活をしているわけだから、死を嫌でも受け入れさせられているはずなんですけど、一人暮らしでねこから離れている生活の中で写真を見返すと、まだ実家にいるような気がしてくるんですよね。

 

 

 

この頃は毎日泣いて、思ってたこと吐き出したいことをとにかくTwitterにぶつけてた。いつか忘れてしまうかもしれないこの気持ちを忘れたくなくて無心でぶつけてた。あとでまとめて見返せる点でぶつけてて良かった。

 

 

まあ犯罪とかはだめなんですけど←

 

生きた証というか功績というかって、その人の人生を語る上で人柄と同じくらい大事な要素だと思うんですよね。

ねこはどうしたって生きた証が残せなくて、共に生きた人間がいつまで鮮明に覚えているかがせめてもの功績だと思うんです。そう思うとねこの生涯って何だったんだろうって、あっても無くても良かった生涯なんかじゃないはずなのにそう思えてきて、せめて人間に生まれた自分が何か遺さないと一緒に暮らしたねこたちも遺れないし報われないなと感じてました。

 

 

これほんと目覚め悪かった。亡くなってると認識してるのに夢で姿見たものだから、落ち着いてうたた寝してたのに頭が錯乱し始めて目が覚めました。

 

 

前の記事見返しては声出して泣いてました。ほんとに毎日泣いてたし、火曜くらいまで1日2,3回くらい泣いてました。

 

 

嫌いな人相手でもビビりで甘えただから夜中のトイレにくっついて入ってくる子で可愛かったなあ。

 

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なんと自分のノートPCに画像が残っていました。2008年なので12年前ですね。auのブログやってた頃に撮った写真って考えると恐ろしく前に感じられる…

 

 

亡くなって永遠のさよならをして一人暮らしの部屋に帰ってきた時「忘れないよ」とTwitterでは呟いたものの、残念ながらどうしたって徐々に声も匂いも重みも手触りも色々な細かな特徴から忘却が始まってます。それでも頭では分かってるけど今もまた一緒に暮らしたい、会いたいって思ってる。またいつか楽しかった日々を思い出させてくれ。じゃあね。